「工程」と「空気」

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工程だが、長年「工程は後ろから引く」にどっぷり浸かっているので、ボリュームから完了日出してと言われると、悩ましい。

・もし、後工程を考慮し「かくあるべき(無理め)」 の工程を出すと、
現実把握能力がない。
守れなかったときの周囲の影響想定してない。
という空気が漂う。
・もし、作業時間積み上げ+バッファの工程を出すと、
そもそもやる気がない。 全体工程の把握能力がない。
という空気が漂う、ように感じる ((感じるだけでなく、どちらの場合も何かしらあることが多かったなぁ。))。
似たような社説? ((一面下部の編集者記事は一般になんと言うの?))?、題材は政治を先日呼んだ

空気と言えば、今時分は山や田んぼの畦道を歩けば、草や泥の匂いの空気が漂っていることだろう。

毎日朝、窓から首を出して懸命に空気を吸い込むのが日課だ。
山に分け入り、自然の空気を吸いたいもんだ。

人と人の間に漂う「空気」は情報として時に有用だが、
人間の能力の源泉になるのは、「自然の中の空気」と水と少しの食べ物、以外は情報消費のように感じる

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